鬼は外?

2015.01.30 Friday

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    回はお寺関連の話ですが、毎月何かテーマを決めてお参りに行った先等で配布する「ちょっとした小話」を書いています。
    2月は「節分」をテーマに書いてみましたので、よろしければ読んでみて下さい。

    鬼は外?
     お正月も駆け足で過ぎ去り、いよいよ二月となりました。まだまだ寒い日が続きますが、今月も元気に参りましょう。
     さて二月の行事といえば皆様良くご存知の「節分」がありますね。「鬼は外、福は内」と言い、豆まきをして、無病息災を祈る、大雑把に言えばこのようになるでしょうか。節分についての詳しい記述は専門家ではありませんので省略いたしますが、まず始めに「節分」は仏教的な行事ではありません。誤解の無いように申しますと、決して否定している訳ではなく、仏教の本筋からは外れる、という事です。
     有名なフレーズ「鬼は外、福は内」ですが、鬼は自分の外にいるものでしょうか?
     煩悩 ( ぼんのう ) は割と日常でも使用する言葉だと思いますが、煩悩というのは、心身を煩わし悩ます心のはたらきです。仏教では代表的な煩悩として「三毒 ( さんどく ) の煩悩」が挙げられます。「貧欲 ( とんよく ) 」「瞋恚 ( しんに ) 」「愚痴 ( ぐち ) 」の三つです。貧欲は自分にとって都合の良いものを貪り求める心、瞋恚は自分にとって都合の悪いものに対する怒りの心、自己中心の見方しか出来ず、真実が見えてない愚かさのことを愚痴と言います。「愚痴を言う」というように使われますが、まさにそのことです。
     とにかく欲しいものを果てしなく求め、嫌いな人はとことん嫌い、自分の都合の良いように真実さえねじ曲げる。「鬼」は他でもない、この私の心の中に命ある限り住み続けている、と受け止めることが仏教、浄土真宗の味わいではないでしょうか。
     節分しかり厄払い、交通安全祈願、安産祈願等、日本には「困った時の神頼み」が溢れています。これらは仏教ではありませんが、決して否定するつもりはなく、むしろ私たち人間の心の弱さの表れだと、そのように受け取っております。残念ながらどれだけ神様や仏様にどんなお願いをしても事故は起きますし、病気にもなり、いつかは必ず命の終わりがきます。
     お釈迦様は「諸行無常 ( しょぎょうむじょう ) 」「諸法無我 ( しょほうむが ) 」(すべてのものは瞬間瞬間に変化し続け、すべてのものには永遠に変わらない実態はない)と教えて下さいました。
     根拠のない迷信等に惑わされず、どんな辛い目に遭おうと、それをゆるやかに受け入れ、悩みながら、迷いながらも阿弥陀さまに照らされ力強く生きていける私に成らせていただくのが浄土真宗における人生観の一つではないかと思います。
     豆を撒きながら、自分の中の鬼と向き合ってみるのも良いかもしれませんね。

    また色々書いていこうと思ってますのでどうぞ宜しくお願いいたします。
     
    コメント
    毎年節分の日は何だか特別に感じます、
    年明けから少し落ち着いて、色々なことを思惟出来る本当に良い機会となっています。
    読ませていただけたこのタイミング!
    >ゆるやかに受け入れ、悩みながら、迷いながら
    時々,小鬼(?)がニョキー!と角を出してしまう自分ですが 苦笑
    今年もありがたく感謝できる一年にしていこうと思います◎
    • by カマコ
    • 2015/01/31 12:25 AM
    カマコさん、コメントありがとうございます!
    読んで下さって嬉しいです。
    本当に色んな事が起こって、日によっても様々な感情がありますが、どんな状態であれ、その事を受け入れて穏やかに生きていけたらと思ってます。
    大抵は心の中に鬼だらけの自分ですが(笑)
    またライブにもいらして下さいね!宜しくお願いします。
    • by Haguri
    • 2015/02/16 8:48 PM
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